血と硝煙の匂いがつん、と鼻腔を刺激した。




03 悲鳴





 パチン、と。それはスイッチを入れたかのような唐突な目覚めだった。普段の彼からは考えも及ばない程すっきりとした目覚め。寝転んだままの状態で芥川慈朗はじんわりと冷や汗が体を伝うのを感じていた。目の前には見慣れた制服の背中――――視線だけを動かすと、周囲に自分と同じような状態の人間が幾人も折り重なって倒れているのが確認出来た。何故だろう、動くことを身体が拒否している。起き上ろうと思う意志に肉体が従ってくれない。
 辺りは薄暗く――――どうやら広い部屋の中らしいということは判るのだが――――細部までは見てとれない。埃っぽい空気が喉に気持ち悪い。

 ここは何処だ?一体この状況は何だ?オレ達、さっきまでバスの中、だった筈。どうして――――
 不意に目の前の背中がもぞりと動いた。続いて聞こえてくる微かな呻きにようやく金縛りが解け、反射的に起き上がった慈朗は周囲を見回した。倒れているのは相当な人数だった。そして自分の周辺には、先程までバスの中で騒いでいた部活仲間。この状況、尋常じゃない、と彼は瞬時にそう判断した。訳も分からず泣きそうになって目の前の背中を必至に揺さぶる。

 「…っ跡部…起きてよ、あとべ…」
 「…う…ジロー、か…?」
 「何か…何か、変だよ、これ…何が起こってんの…?」

 慈朗は余程酷い顔をしていたらしく、跡部は一気に表情を引き締めて起き上った。それに呼応してか、部屋のあちこちで影がむくりと起き上がり始める。
 何なんだ?一体、何が―――――起こってる?
 跡部に対し口を開きかけて、慈朗はギョッとして首に手をやった。金属特有のひんやりとした、覚えのない感触が首筋に張り付いている。目の前で同様の反応をして青褪めている跡部の首元で鈍く光っているのは、彼等の日常ではおおよそ目にする筈もない代物だった。

 「…っ何、この首輪…?」
 「判んねぇ…クソッ、外せそうにねぇな、これは」

 「おい…どうなってんだよこれ…」
 「何で俺達こんなとこにいんだよ…?」
 「…ッ訳分かんねぇ…!!」

 周囲のざわめきは大きくなっている。見えない集団が吐き出す不安と混乱がない交ぜになって緊張が最高潮に達した瞬間、唐突に頭上で光がきらめいた。暗闇に慣れた目に刺激が強すぎて思わず目を庇う。と、同時に重なり合う足音が振動となって地続きに感じられた。聞き慣れない金属音が響く。
 青白い電灯に照らし出されたのは、古びた教室。机やいすが雑然と散らばっており、かび臭さと埃っぽさが長い間この空間が使われていなかっただろうことを示唆していた。

 そして明らかにこの場にそぐわないものを見て慈朗は一気に青褪める。先ほどの足音の正体であろう、いつの間にか教室の前方部分を侵食して直立しているのは、どう見ても軍人にしか見えない人々だった。一様に無表情の彼等が腕に抱いているものは、映画などでしかお目にかかれないものである。銃だ。それも拳銃と称するようなちっぽけなものではない、アサルトライフルやショットガンといった類の、とんでもなく物騒な代物。

 何なんだよ…何なんだよこれ…っ!
 半ば恐慌状態に陥りながらも、何とか状況解明の糸口になるものを探して辺りを見回す。今や視界はいやになる程明瞭で、この場にいる人間の顔もはっきりと見てとれた。3、40人程度だろうか。慈朗はそのどれもが見知った顔であることに気付いた。氷帝、青学、山吹、ルドルフ、不動峰。そう、もっと言えば――――この場にいるのは、今回の合宿に参加する筈だった関東のテニス部部員たちだ。けど、どうして?
 その中でも立海に交じるようにして呆然と立ち尽くしている少女を見つけて、ざわめきの中慈朗は思わず叫ぶ。

 「――――!!」
 「…っジロー?!」

 慈朗の声に反応して、部屋のあちら側にいた少女が振り返る。彼の従姉妹に当たるだった。その首元で銀色の光がきらりと跳ねる。遠目に見えるの様子は明らかに異常だった。真っ青な顔、見開かれた大きな瞳。勿論この場にいる人間は皆少なからず動揺して混乱しきっていたが、その中でもは明らかに浮いていた。何て言えばいいんだろう――――あの感じ。付き合いの濃い同年齢の従姉妹の心情をどうにか汲み取ろうと、慈朗は懸命にを凝視する。彼女は両手を握り締めて唇を固く引き結んでいた。その意識はある一点に集中されている。張り詰めた、見たこともないような強張った表情で戸口の方を―――――
 するり、と。何の気配もなく、その見たこともない男は戸口から這入ってきた。


 「あー…静かに、して」


 彼等の意識は瞬く間にその男に集約された。とても若い。二十代、前半だろうか。顔の造作は非常に整っていて、無機質な印象を与える。やる気のない足取りでたらたらと歩くその男は――――軍服を着ていた。前を開けており、着崩したようなその服の袖に光るバッジが表す階級は大佐であった。
 その男は何処吹く風といった様子で軍人の波をするりと抜けて大股で中央まで歩み寄り、落ち着き払った態度で教卓の上から彼等を見下ろした。しばし無言で教室を見回し、おもむろにチョークを取り上げて黒板に何やら書き付け始めた。聞き慣れた音と共に黒板上に伸びる白い線。
 周りは痛い程の静寂に包まれている。ぎこちなく首を曲げて見やった先のは、今にも壊れてしまいそうな表情をしていた。誰かがごくり、と唾を飲み込む音がはっきりと響いた。
 『BR法』
 そう書き終えて振り返ったその男はこちらに向き直り、淡々と一言言い放った。今から授業を始めるとでも言うような、さらりとした口調だった。


 「今から、ちょっと殺し合いしを、してもらう」









 ――――――は?なに、 いま、何て
 耳から流れ込む日本語が頭の中で意味をなさない。それは慈朗に限ったことでもなかったようで、ざわめきが大きくなった。
 オレ達は合宿に向かう途中だった。バスの中で眠って、起きればそこは見知らぬ古びた教室。学校みたいだけれど、ここがどこかは分からない。この場にいるのは今回の合宿に参加する予定だった関東のテニス部員達。全員の首には得体の知れない頑丈な金属製の首輪。どうやら戸口の外にまでいるらしい、武器を構えた軍人達。そしていきなり現れたこの男が放った言葉、『いまからちょっところしあいをしてもらいます』? は? なにそれいみ分かんねーんだけど。しらないしらないおれこんなのしらな――――いや、ちがう、しっている、この、信じられないほど残酷で壮絶な状況。いつもテレビのブラウン管の向こう側にあるその光景を、ただ緩慢に眺めていた。だって、だってだってだってだって、こんなの、自分にほんとうに降りかかるなんて、おもわないじゃないか。ちがう、これは現実じゃないそんなわけないじゃないかだって自分にこんなことが起こるわけないじゃないかでもだってこれじゃ、まるでほんとうにあのプログラムみたいじゃな、  ガタン、と乱暴に椅子が倒れる音がした。皆一斉にビクリとし、視線が一気にそこに集中する。恐慌状態の少年少女達の中央辺りに立っている、あれは――――山吹の、東方とか言う奴か――――?

「…ッ訳分かんね…何なんだよこれ?!何の冗談なんだよ?俺達テニスの合宿に行く途中だったのに、何でこんな…っ!一体どうなって「――――ッ伏せて!!」

 少女の悲鳴にかぶさるようにして一発の銃声が轟いた。有り得ない衝撃に耳の鼓膜がびりびりと震えている。
 誰もが凝視していた。
 苦悶の表情を浮かべ、呻きと共に倒れていく少年の左足。徐々に広がる赤い染みはやがて血だまりとなって床を侵食し始めた。甲高い悲鳴が響き渡る。
 ―――――なに、これ。

 「…まだ、話の途中だから」

 銃を構えたままの姿勢でその男はそう、投げやりに言った。脳が状況の理解を拒絶している。床でうずくまる東方を見たまま彼等は静止していた。
 ―――――なに、これ。
 俺達の、日常は、何処。

 「…ッてめェ!!」
 「亜久津!!」

 麻痺していた彼等の中で一番に我に返った亜久津が瞬時に教壇の上の男に掴み掛ろうとする。と、隣で呆然としていた千石が必死の力で亜久津を押さえ付けた。そこだけ埃が舞い散り、身体のぶつかり合う音が鈍く響く。

 「…ッ放せ!!てめェも今の見ただろうが、あァ?!」
 「…っ駄目だ…今は落ち着け…!」

 ジャキ、と。数人の兵士が瞬く間に迎撃態勢に入った。硬直する千石と亜久津。再び静まり返る教室。それまでピクリとも動かなかった兵士達から滲み出ているのは紛れもない殺気だった。視線一つ動かしただけで気配を気取られ撃ち殺されそうな―――――張り詰めた空気。
 東方は顔を歪めて痛みに耐えている。その場にいる誰もが第二の惨劇を想定して動けずにいた。  一人の兵士の指先がゆっくりと引き金にかかった、瞬間。

 「……っ!!」
 「?!」

 視界の端で誰かが目にも止まらぬ速さで駆け抜けたと思えば、身を翻して亜久津の前に立ち塞がったのはだった。予想外のその行動に度肝を抜かれ、数人の声がこだまする。
 手元の学級名簿をつまらなさそうにめくっていた男の手がぴたりと止まった。その視線がゆっくりとへと移動し、低い笑い声が喉から漏れ出た。

 「……銃は、下げていい」

 動揺する少年達をよそに、兵士達は無駄のない所作で銃を下げ、元の姿勢に戻った。
 パタン、と学級名簿を閉じる音が室内に響く。男はおもむろに教壇から下りた。緩慢に歩を進めて、の前で立ち止まる。微動だにしないその端正な顔の上に一瞬浮かんだ表情に、誰が気付いただろうか。
 それは歓喜の―――笑みだった。

 「……

 は一歩も引かず無言で男に対峙している。
 この場に立ち尽くす誰ひとりとして、この異常な空気を打破することは出来なかった。――――彼等の良く知る人懐っこい少女が、今まで見せたことのない無機質な表情を顔面に貼り付けていたとしても。
 一瞬だけ覗かせた感情など微塵も感じさせない無表情で、彼は抑制された声で淡々と言葉を放った。台本を読んでいるかのような、棒読みの台詞だった。

 「……可哀想に。また精々死なずに逃げ切れると、いいね」

 少しも可哀想だと思っていない、その辺に転がっている石ころにでも話し掛けるような冷めた口ぶりだった。当然ながら慈朗や他の人間には、男との会話の意味が分かる筈もない。
 慈朗はの握られた拳から赤い液体が小さく滴ったのに気付いてしまった。血が滲む程に握り締められている、小さな拳。は今や無表情だったが、慈朗には彼女が強靭な意志で以てして内側の熱を必死に抑えている様子が痛切に感じ取れた。

 「……、」
 「………仁、キヨ、今は……落ち着いて」

は低い声で、この室内で目覚めてから初めて声を発した。彼女ののんびりとしたいつもの口調からはかけ離れた、温度も色も感じられない乾いた声音。
 静止している少年達の横をすり抜けて、は東方の前にしゃがみ込むと自身のハンカチを取り出して彼の脚に手際良く巻き始めた。ぐっと顔を歪める東方。ごめんね、ちょっとだけ、我慢して。呟いてが応急処置を滞りなく終えた。
 と、それを見守っていた男が短時間ですっかり聞き慣れた投げやりな声を放つ。

 「終わった? …なら、元いた所に戻れ。今回の、バトルロワイアルのルールを説明する」
 「バトルロワイアル……だと?」

 ひび割れた声で問い返したのは、慈朗の隣で立ち尽くしている跡部である。彼の問いは、この場にいる全員の思いの代弁でもあった。そして、その瞬間、誰もが――――正確に明確に明瞭に―――これが、この状況が何であるかを―――悟って、いた。
 いかにも面倒くさそうに視線を流し、軍服の男はお馴染みの口調でお馴染みではない言葉を吐きだした。

 「極秘戦闘実験プログラム、通称BR法。要するに、さっきお前等に言ったこと。今から、お前等に、殺し合いをしてもらう。最後に生き残った一人、のみが、優勝者として、この地獄からの生還の権利を得る。―――――これに選ばれるなんてついてない。……可哀想に」



 血と硝煙の匂いの中で、慈朗は眩暈を覚えた。  ――――――壊れていく。俺達の、世界が。









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